何やら聞き慣れない言葉ですが、
映像の世界ではデジタルでの保存は数年おきに規格が変わり
コピーを繰り返す必要があり、その結果フィルムの11倍ものコストがかかり
しかも保存の安全性も保証されていないそうです。
フィルムはきちんと保管すれば500〜1000年は保存されるそうです。
DVDの場合、5〜?年。
合理的な事ばかり考えて、無駄だと捨ててしまった事の中には
実は大切なモノもたくさん入っているのかもしれませんね。
音楽もアナログの情報量にデジタルが追いついていないらしい。
I♥VINYL。
11/13/2013
アンパンマン ライジング
先日アンパンマンの産みの親、やなせたかしさんの訃報がありました。
作品群はもちろん知っていたけど、
どんな人物だったかは亡くなって初めて気付くことだらけでした。
34歳で漫画家デビューし、アンパンマンがアニメとしてヒットしたのは69歳という遅咲きの作家人生。売れる前は舞台美術やラジオの脚本など漫画以外のさまざまな仕事を引き受けついたあだ名が”困った時のやなせさん”。
アンパンマン誕生のきっかけは24歳の戦争経験で
飢えに苦しみながらも、戦争の正義を信じて戦っていたが、
敗戦を境に自分たちの信じた正義は一変。悪魔の軍隊と呼ばれるようになり
“正義のための闘いなんてどこにもないのだ正義はある日突然反転する逆転しない正義は 献身と愛だ目の前で餓死しそうな人がいるとすればその人に、一片のパンをあたえること”という考えに至ったからだそう。
スヌーピーやムーミンなど見た目はゆるキャラだけど、
内容はガチな作品が海外には多いですがアンパンマンもまさそのスタイル。
タモリさん(オリジナルは赤塚不二夫)の名言で”難しいことを難しいまま言うやつ、あれ、馬鹿だよね”とあるけれど、噛み砕いて言える人は本日が分かっている人だと思います。噛み砕いた編集ができるよう今日も精進精進。
この曲の作詞もやなせさんでした。
作品群はもちろん知っていたけど、
どんな人物だったかは亡くなって初めて気付くことだらけでした。
34歳で漫画家デビューし、アンパンマンがアニメとしてヒットしたのは69歳という遅咲きの作家人生。売れる前は舞台美術やラジオの脚本など漫画以外のさまざまな仕事を引き受けついたあだ名が”困った時のやなせさん”。
アンパンマン誕生のきっかけは24歳の戦争経験で
飢えに苦しみながらも、戦争の正義を信じて戦っていたが、
敗戦を境に自分たちの信じた正義は一変。悪魔の軍隊と呼ばれるようになり
“正義のための闘いなんてどこにもないのだ正義はある日突然反転する逆転しない正義は 献身と愛だ目の前で餓死しそうな人がいるとすればその人に、一片のパンをあたえること”という考えに至ったからだそう。
スヌーピーやムーミンなど見た目はゆるキャラだけど、
内容はガチな作品が海外には多いですがアンパンマンもまさそのスタイル。
タモリさん(オリジナルは赤塚不二夫)の名言で”難しいことを難しいまま言うやつ、あれ、馬鹿だよね”とあるけれど、噛み砕いて言える人は本日が分かっている人だと思います。噛み砕いた編集ができるよう今日も精進精進。
この曲の作詞もやなせさんでした。
ラベル:
Made In Japan
7/23/2013
YouTube Space Tokyo
念願のYouTube Space Tokyoに行って来ました。
思えば2011年にGoogleが制作したこのYouTubeはボクの映像制作のスタンスを変えてしまった。映像作品はディレクターや編集者の作品というスタンスが一般的ですが、
この作品の主役は一般市民であり、何より地球が主役という視点が新鮮でした。
YouTubeの視聴者数は月間10億人(日本国内で3000万人)で一分間にアップロードされる動画の時間は100時間、また月の視聴時間は6億時間と想像以上の規模でした。
思えば2011年にGoogleが制作したこのYouTubeはボクの映像制作のスタンスを変えてしまった。映像作品はディレクターや編集者の作品というスタンスが一般的ですが、
この作品の主役は一般市民であり、何より地球が主役という視点が新鮮でした。
YouTubeの視聴者数は月間10億人(日本国内で3000万人)で一分間にアップロードされる動画の時間は100時間、また月の視聴時間は6億時間と想像以上の規模でした。
5/21/2013
1/30/2013
マイケルジャクソン オックスフォード大学での講演
お久しぶりのブログ更新。
2013年一発目は
マイケルジャクソン オックスフォード大学での講演を。
ちょっと長いですが、今の時代にとても考えさせられるスピーチですよ!
2013年一発目は
マイケルジャクソン オックスフォード大学での講演を。
ちょっと長いですが、今の時代にとても考えさせられるスピーチですよ!
イントロダクション
愛されない子どもたちに手を差し伸べよう。大人は子どものことをもっと優先して考えよう―。 これはマイケル・ジャクソンと、彼が社会に広めようと設立した「ヒール・ザ・キッズ」(Heal The Kids)の核となるメッセージである。 この思いをより多くの人に伝えようと、マイケルはまず数々の講演活動を企画した。マイケルは、 この団体をいっしょにはじめた友人、シュムリー・ボテツ師とともに、著名人や専門家たちを招き、教育問題について話し合った。こ れら一連の活動はニューヨークのカーネギーホールにはじまり、ネバーランド・ランチでの会議で幕を閉じた。2001年3月6日、古き 伝統を持つイギリス・オックスフォード大学において、マイケル自身初となる講演は、そのハイライトを迎えた。
オックスフォード大学での講演(2001年3月6日)
みなさんの熱烈な歓迎に心から感謝します。オックスフォード大学の学長殿、本日はお招きいただき光栄に思います。そして、ここオ ックスフォード大学で11年間ラビとして従事しているシュムリー師に特別に感謝の意を表します。「ヒール・ザ・キッズ」をともに 苦労して設立した彼とは、子どもらしさとは何か、という内容の本の共同執筆もしました。すべての活動を通じ、わたしを支えてくれ ているかけがえのない友人です。そして、「ヒール・ザ・キッズ」のディレクター、トバ・フリードマンにも感謝の意を表します。彼女 はここオックスフォードの卒業生で、マーシャルの研究をしていたそうです。そして、もう一人の中心のメンバー、マリリン・ピールス にも感謝を表します。
以前、マザー・テレサ、アルバート・アインシュタイン、ロナルド・レーガン、ロバート・ケネディー、マルコムXといった著名な 方々が講義されたこの会場で、これからお話できることを喜ばしく思います、セサミストリートのマペット、カエルのカーミットも この場に立ったと聞いています。「ここに立つのに青いっていうのは大変なことさ(まだ青二才、未熟者なので)」というカーミット の気持ちがよくわかります。カーミットもわたしと同様、この場に上がるのに緊張したことでしょう。オックスフォード大学は偉大な 哲学者や科学者だけでなく、JRR トールキン (「指輪物語」の作者)からCS ルイス (「ナルニア物語」の作者)に至る、才能に満ちあふれた著 名な児童文学作家たちも送り出してきました。
今日、わたしはクライスト・チャーチ (Christ Church) のダイニングホールの中を歩き、ステンドグラスの窓に描かれたルイス・キ ャロルの不朽の名作「不思議の国のアリス」を鑑賞しました。子どもたちの大好きなアメリカの児童文学者ドクター・スースの絵もあ りました。彼は世界中の多くの子どもたちの想像力を養うすばらしい作品を生み続けています。まずわたしが、今夜みなさんの前で お話させていただけるようになったわけからはじめましょう。
わたしにはこのホールで講演してきた有名な方々のように、専門知識があるとは言えません。彼が、ムーンウォークの名手とは呼べな いのと同じです。――中でもアインシュタインはとても下手だったと聞いています。しかし、わたしは人よりも、多くの場所へ赴き、 いろいろな文化に触れてきました。人の知識は書物から得られたものだけでなく、心に描かれ、魂に彫り込まれ、精神に刻み込まれた ものからつくられます。わたしは比較的短い間に、多くの体験をしてきたため自分がまだ42歳であるのが信じられません。時々 シュムリーにも言うのですが、精神年齢は80歳には達していると思います――。今夜は80歳のように歩くことさえできます。ですか ら、今晩はわたしの話におつきあいください。今日ここでお話することが、人々の心、そして地球をもいやせるかもしれません。神 の恵みによって、幸運にも、わたしは人生の早い時期にアーティストとして、プロとしてのたくさんの夢をかなえることができ ました、しかし皆さん、このような実績だけで、自分自身を語ることはできません。5歳の少年は観客の前で『ロッキン・ロビン』や 『ベンのテーマ』を元気に歌っていましたが、実際、笑顔の裏側にある少年の本当の心を表してはいなかったのです。
今夜わたしは、ポップの聖像(この意味はともかく)としてでなく、同世代、つまりもう子どもではない世代の聖像として、ここに立って います。私たちはみな、幼児期の産物です。子ども時代は、人格形成に大きく影響します。でも、わたしにはすばらしい子ども時代は ありませんでした。両親や周りの大人からの愛情を一身に浴び、最大の心配事といえば月曜日の朝のスペリングテストしかないような、 夢中になって遊べるはずの貴重な時期を過ごさずに来てしまいました。
ジャクソン・ファイブをご存じの方は、わたしが若干5歳という年齢でデビューしたことをご存じでしょう。それ以来、歌い、踊り続 けています。ステージに立っている時や音楽を作り出している時は確かに大きな喜びで満たされていましたが、小さいころのわたしは それよりも何よりも普通の少年でいたかったのです。木の上に家を作ったり、水風船をぶつけっこしたり、友だちとかくれんぼしたりした かったのです。
でも、これはわたしの運命で、周りで遊んでいる子どもたちの笑い声をうらやむことしかできませんでした。わたしのプロとしての人 生に、息抜きなどありませんでした。でも、毎週日曜日、「エホバの証人」の行うパイオニアリングと呼ばれる布教活動に通ったもの です。ほかの子どもたちがどう過ごしているのかを間近に見て、子ども時代の魅力を知ったのはその時でした。わたしはすでに顔が知 れわたっていましたから、大きめの服、かつら、あごひげ、眼鏡で変装し、南カリフォルニアの郊外で家を一軒一軒訪ねたり、ショッ ピングモールを歩き回ったりして、『ものみの塔』という機関誌を配布しました。わたしは普通の家を訪ね、ふかふかのラグやアーム チェアの上で、子どもたちがモノポリーゲームをして遊んだり、おばあちゃんが孫を面倒を見たりするような日常生活のすばらしく平 凡な、輝く光景を見るのが大好きでした。そんなたいしたことじゃないじゃないか、と思われるのは知っています。でも、わたしにと っては、とても魅力的なことでした。普通の子ども時代を過ごしてこなかったのは自分だけだと思ったものです。この思いをわかって くれるのは、実際ほんの一握りの人だけだと信じていました。
最近、シャーリー・テンプル・ブラックにお会いしました。1930、40年代に活躍した子役スターです。最初はお互い言葉を交わしま せんでした。ただいっしょに涙を流しました。シャーリーはごく親しい友人、エリザベス・テイラーやマコーレ・カルキンにしかわか らないような心の痛みをわかってくれたのです。みなさんの同情を買うために、この話をしたのではありません。わたしが言いたいの は、子どもらしくない幼児期を過ごしているのは、ハリウッドの子役たちだけではないということです。今日、それは世界共通の不幸 であり、世界的規模の悲劇です。現代では、子ども時代が悲惨な状況になってきているのです。喜びを感じたことのない、権利を与え られない、自由を許されない、子どもらしさを知らないたくさんの子どもたちが生み出されているのです。
今日、子どもたちは早く大人になることを求められます。子ども時代と言われるこの期間がつらい段階であるかのように我慢し、でき るだけ速やかに通過することを求められます。この点に関しては、わたしも専門家と名乗れるくらいの経験があります。わたしたちは、 親子関係の断絶を目の当たりに見てきた世代です。心理学者は、無償の愛を与えられない子どもたちがどうなるのかを扱った多数の本 を出しています。無償の愛を注がれず、放っておかれるために、実に多くの子どもたちが、自らの力だけで成長していかなくてはなら ないのです。
かつて世代間を結びつけた強力なのりがはがれるように、愛を与えられない子どもたちは、両親、祖父母、ほかの家族たちから距離を 取りつつ成長しています。こうして、新しい世代――O世代と呼びましょうか――が生み出されました。O世代はX世代から、バトン を受け取りました。O世代は富も成功も、きれいな服も、かっこいい車もすべて手に入りますが、心はやるせなさで満ちた世代です。 彼らの胸の空洞、心の底に広がる荒野、中心にぽっかりあいた空間も、かつては鼓動や愛で満たされていたはずです。そして、苦しん でいるのは子どもだけではありません。大人も同じです。子どもの体をした小さな大人を育てようと努力すればするほど、大人の中 の子どもらしさも失われていきます。大人の生活にも、子ども的な部分を必要とする場合がたくさんあるのです。
みなさん、愛は家族にとって、最も貴重な財産であり、豊かな遺産であり、黄金の贈り物です。世代から世代へと受け継がれていく宝 です。昔の人たちには、今わたしたちが手にしているような豊かさはなかったかもしれません。家には電気も通らず、セントラルヒー ティングのない小さな家にたくさんの子どもたちがひしめきあって暮らしていたことでしょう。しかし、家は暗くも寒くもありません でした。愛の輝きで部屋をともし、温かい心で部屋を暖めました。富や地位という欲に毒されていない大人たちは、生活の中で子ども たちのことを最優先に考えたのです。
みなさんご存じのように、イギリスとアメリカは、第3代大統領トーマス・ジェファーソンの起草した独立宣言の「譲渡され得ない権 利」――生命・自由・幸福の追求――をめぐり争っていました。2カ国がジェファーソン大統領の主張をめぐり争う中、子どもたちに も「譲渡され得ない権利」があるということは論議されなかったのです。これらの権利が徐々にむしばまれていけば、世界中の子ども たちの多くが、幸福や安全を享受できなくなります。そこで、すべての家庭に児童権利法案が取り入れられることを強く望みます。 条項を挙げると、
- 愛される権利。自ら求めずとも。
- 守られる権利。どんなことがあっても。
- かけがえのない存在だと感じられる権利。何も持たずにこの世に生を受けようとも。
- 話を聞いてもらえる権利。大人にはおもしろくない話でも。
- 寝る前に読み聞かせをしてもらえる権利。夕方のニュースや、『イースト・エンダー』(イギリスの家族ドラマ)に時間を取られることなく。
- 教育を受ける権利。学校で銃弾におびえることなく。
- かわいがられる対象となる権利 (たとえ平凡な外見だとしても)。
どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです。髪の色が赤か茶色かを知る以 前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならな いのです。12年ほど前、『バッド』ツアーをはじめようとしたころ、一人の少年が両親とともに、カリフォルニアの自宅を訪ねてきまし た。その少年はガンのため、死期が近づいていました。わたしの音楽、そしてわたしのことがどんなに好きかを語ってくれました。
少年が長くは生きられず、今すぐにでも天国に召される可能性があることを、彼の両親から聞き、わたしは彼に言いました。「ねえ、3 カ月後、君の住んでいるカンザスでコンサートをするよ。見に来てほしい。さあ、ビデオで着たこのジャケットを君にあげよう」。 少年は目を輝かせて言いました。「ぼくにくれるの」。わたしは答えました。「そうだよ。でも、ツアーの時、着てくるって約束して」。 わたしは少年を持ちこたえさせようとしていたのです。「ツアーの時、君がこのジャケットを着て、この手袋をはめている姿を見たい んだ」。そうわたしは言い、ラインストーンの手袋を少年にあげました。――以来、ラインストーンの手袋は二度と人にあげていません。
少年は今天国にいます。おそらく、ずっと天国に近いところにいたのでしょう。わたしがカンザスに行った時には、すでに亡くなって いました。あの手袋とジャケットを身に付けて、葬られたそうです。少年はちょうど10歳でした。少年が持ちこたえようとベストを尽く したことは間違いありません。彼が亡くなった時、両親からだけでなく、血のつながりのないわたしからも、自分が愛されたことを実 感していたことだけは確かです。わたしは彼のことが大好きでした。愛情をいっぱいに受けたことで「自分がこの世にたった一人で現れ、 たった一人で去っていったのではない……」と思っていることでしょう。愛されている実感をもってこの世に生を受け、愛されている 実感をもってこの世から去るなら、生きている間に起こるすべてを乗り越えられるのです。
たとえ教授に中傷されたとしても、そう感じないでしょう。上司にしいたげられようとも、へこたれないでしょう。会社の同僚に打ち 負かされたとしても、成功の喜びを感じられるでしょう。
愛情を受けて育ってきた人を、心から傷つけることはできません。自分が愛される価値のある人間だという実感をもっているからで す。それ以外の感情はただの包み紙のようなものです。
しかし、愛された記憶がなければ、心を満たすものを求め、世界中を探し回るようになります。
どんなにお金を稼ごうとも、どんなに有名になろうとも、まだ虚しさを感じることでしょう。
本当に探し求めているのは、無償の愛、つまりは無条件に受け入れられることです。生まれた時に、享受できなかったものなのです。
想像してみてください。ここにアメリカの典型的な1日の特徴を示すデータがあります。――6人の未成年が自殺をし、12人が銃の犠 牲になっています――いいですか、これは1日当たりの数字で、年間の数ではありません。399人の子どもたちが薬物中毒で逮捕され、 1,352人の赤ちゃんが10代の母親から産まれています。
これは歴史的に見ても非常に豊かな先進国で起きていることです。実際アメリカでは、ほかの先進国と比較にならないほどの暴力行為 が多発しています。アメリカの若者が、心の傷や怒りを表現する方法なのです。しかし、イギリスの若者の間に、同じ痛みや苦しみが ないわけではありません。調査によると、イギリスでは、1時間に3人の未成年者が、自虐行為――自ら体を傷つけたり、自らやけどをした り、薬物を過剰に服用したり――をしているそうです。こうして彼らは、愛されない心の痛みや苦しみを乗り越えようとしているので す。イギリスでは、1年に一度しか、家族そろって夕食をとれない家庭が20%もあるそうです。1年にたったの一度ですよ!
寝る前の本の読み聞かせという貴重な時間を大切にしていますか。1980年以降の調査によると、読み聞かせをしてもらっている子ど もたちは優れた教養を身につけ、学校でもいい成績を修めています。しかし、イギリスの2歳から8歳の子どものうち、毎晩本を読み聞 かせてもらっているのは33%にも満たないそうです。今の親たちが子どものころには、75%が本を読み聞かせてもらっていたこと を考えると、もっと深刻にとらえなくてはならないでしょう。
この心の痛み、怒り、暴力行為の原因は探るまでもありません。子どもたちは明らかに、愛してほしいと訴え、関心をもたれないことに 体を震わせ、注目してほしいと叫び声をあげているのです。アメリカの様々な児童保護機関によると、毎年何百万人もの子どもたちが、 放っておかれるという形の虐待の犠牲になっているそうです。
放っておかれるという形の虐待。あらゆる電化製品を完璧に備えた裕福な名声のある家庭の中で起こっています。両親が帰宅する。でも、 本当にうちに帰ってきたのではない。頭の中はまだ仕事場にある。じゃあ、子どもたちは?与えられた感情のかけらで間に合わせて いるだけ。そして絶え間なく流れるテレビ、コンピュータ・ゲーム、ビデオから得るものは少ない。なぜわたしが自分の時間や財産の多 くを「ヒール・ザ・キッズ」の活動をはじめるために費やすことにしたのか、おわかりでしょう。わたしは統計の示す悲しい数字に、 魂をもぎ取られ、精神を揺さぶられたのです。私たちの活動の目標は単純です。――親子の絆を取り戻し、関係を修復し、地球の 将来を担うすべての子どもたちの進む道を明るく照らすことなのです。
わたしは、今日初めて公に講演をしています。みなさんに温かく受け入れられ、さらに話をしたいという気持ちになりました。人には それぞれ事情があり、その意味で、統計データが独特の意味をもつこともあります。子育てはダンスのようだと言われます。親が足を 一歩踏み出すと、子どもも足を踏み出す。ですから、親が子どもたちのために再び愛を捧げるだけでは、まだ半分しか意味がないのです。 子どもの側にも親を再び受け入れるよう準備しなくてはならないのです。
小さいころ、ブラックガールという名の犬を飼っていました。オオカミとレトリーバーの混血です。ブラックガールは番犬としての役目 を果たさないばかりか、とても臆病で神経質で、大きな音を立てるトラックや、インディアナ州を通過する雷にもおびえていました。 妹のジャネットとわたしは、ブラックガールをとてもかわいがりましたが、前の飼い主によって奪われた信頼感を取り戻すことはつい にできませんでした。前の飼い主がブラックガールを虐待していたことを知っていましたが何をしたかはよくわかりません。でも何を していようと、それが原因でブラックガールが健やかな心を失ったのは確かです。今日、多くの子どもたちは愛に飢えた子犬のようで す。そのような子どもたちは親のことを考えようとしません。そのままにしておくと、独立心おう盛な子どもに育ちます。親元から離 れ、去っていきます。ひどい場合は、親に恨みや怒りを抱き、その結果、親は自分のまいた種で、自らの首を絞めることになるでしょう。
このような過ちは今日ここにいるだれにもおかして欲しくありません。ですから、自分が愛されていないと感じても親を許すよう、世 界中の子どもたちに呼びかけているのです。今日ここにいる人からはじめましょう。許してあげてください。もう一度愛する方法を親 たちに教えてあげてください。わたしにはのんびりとした子ども時代がなかったと聞いて、驚く人はいないでしょう。父とわたしとの 間の重圧や緊張は、よく取り上げられます。父は厳しい人で、小さいころから私たち兄弟がすばらしいアーティストになるよう強 要しました。父は愛情を示すのが苦手で、まともに愛していると言われたことは一度もありませんし、褒められたこともありません。 ステージで成功をおさめても、まあまあだとしか言ってくれませんでした。
そしてまあまあのステージなら、父は何も言いませんでした。父は何も増して、わたしたちが仕事上成功することを望んでいるように 思われました。その点における父の力はずば抜けたものでした。父にはマネージメントの才能があり、そのおかげで、わたしたち兄 弟はプロとして成功しました。芸能人として訓練され、わたしは父の指導のもと、敷かれたレールから足を踏み外すことはできません でした。
でもわたしが本当に欲しかったのは、「お父さん」です。自分を愛してくれる父親がほしかったんです。父は愛情を示してくれたこと がありませんでした。目をまっすぐ見つめ好きだと言ってくれたことも、いっしょにゲームをしてくれたこともありませんでした。肩 車をしてくれたことも、まくら投げをして遊んだことも、水風船をぶつけあったこともありません。でも、4歳のころ、小さなカーニ バルで、父が私を抱き上げ、ポニーに乗せてくれたという記憶があります。それはちょっとしたしぐさで、おそらく5分後には、 父は忘れてしまったことでしょう。しかし、その瞬間、わたしの心の特別な場所に、父への思いが焼き付けられました。子どもとはそ んなもので、ちょっとした出来事がとても大きな意味をもつのです。わたしにとっても、あの一瞬がすべてとなりました。たった一回の 経験でしたが、父に対して、そしてこの世の中に対していい思いを抱いたのです。
自分自身が父親となり、ある日わたしは、我が子プリンスとパリスが大きくなった時、自分がどう思われたいと考えているのか、自問 しました。もちろん、自分の行くところにはいつも子どもたちを連れて行きたいし、何よりも子どもたちを優先していることを、わか ってほしいと思います。しかし、あの子たちの人生に困難がつきまとっているのも事実です。パパラッチに追いかけられるので、公園 や映画館にいつも一緒に行けるわけではありません。あの子たちが大きくなって、わたしを恨んだら?わたしの選んだ道があの 子たちにどんな影響を与えるのでしょう?
どうして僕たちには普通の子ども時代がなかったの、と聞くでしょうか。その時、子どもたちがいい方向に解釈してくれるといいと 思います。「あの特殊な状況の中で、父さんはできるだけのことをしてくれた。父さんは完璧ではなかったけど、温かで、まあまあで、 ぼくたちを愛する努力をしてくれた」とあの子たちが心の中でつぶやいてくれるといいなと思うのです。
あの子たちが、あきらめざるを得なかったこと、わたしのおかした過ち、子育てを通じてこれからおかすだろう過ちを批判するのでな く、いい面、つまりわたしがあの子たちのために喜んで犠牲を払ったことに、目を向けてくれればいいと思います。 わたしたちはみな 人の子で、綿密な計画を立て、努力をしても、常に過ちをおかしてしまうものなのです。それが人間なのです。このことを考える時、 つまり、どんなにわたしがあの子たちに厳しく評価されたくない、いたらない面を見逃してほしいかを考える時、わたしは父のことを 思わずにいられません。 子どものころ、愛されたという実感はないけれど、父がわたしを愛してくれていたに違いないと認めざるを得 ないのです。父はわたしを愛し、わたしにはそれがわかっていた。愛情を示してくれたことは、ほとんどなかったけれど。
子どものころ、わたしは甘いものに目がありませんでした。 ―兄弟みんなそうでした。シロップに覆われたドーナツが大好物で、父 はそのことを知っていました。数週間に一度、朝1階に下りて行くと、紙袋に詰め込まれたドーナツがキッチンカウンターに置いてあ ったんです ―メモも説明もなく― ドーナツだけが置いてありました。まるでサンタクロースみたいでした。 夜中まで起きていて、 ドーナツが置かれるところをみようと思うこともありました。 でも、サンタクロースと同じように、二度とドーナツが置かれなくなるこ とを恐れ、その魔法を大切にしようと思いました。父はだれかに見られないように、夜中にこっそり置かなければなりませんでした。 父は自分の中の人間的な感情におびえ、それを理解できず、どうしていいかわからなかったのです。しかし、ドーナツの件ではわかっ ていたようです。心の防波堤の扉を開けたままにすると、わたしの心に様々な記憶が走馬灯のようによみがえってきます。 ちょっとし たことで完全ではありませんが、その記憶は ゛父ができることをしてくれた゛ ということです。そこで今日これからは、父がしてくれ なかったことに目を向けるのでなく、父がしてくれたこと、父の努力に目を向けようと思います。 そして、父を非難するのをやめよう と思います。わたしは父が南部の貧しい家庭で育ったという事実に思いをはせるようになりました。
父は世界大恐慌の年に、この世に生を受けました。 わたしの祖父は家族を養うのに精いっぱいで、ほとんど愛情をしめすこともなく、子 どもたちを厳しく育てました。 アメリカ南部で貧しい黒人が大人になっていくということが、みなさんにはどういうことか想像もつか ないでしょう。人間としての尊厳を奪われ、望みを失い、身分の低い者として見られる世の中で、一人前になるようもがくことなのです。 わたしはMTVで最初に歌った黒人アーティストです。当時でさえ、大きな出来事だったと記憶しています。それが80年代のことです。
父はインディアナ州に引っ越し、所帯をもち、たくさんの子どもたちに恵まれました。家族を養うため、製鋼所で長時間働きました。 それは、肺を痛めつけ、屈辱的な気持ちにさせるような仕事でした。父が自分の感情をさらけだせなかったのも、無理もないことでした。 心をかたくなにし、壁でふさいだとしても何の不思議もありませんでした。そして何よりも、自分が経験した屈辱的人生や貧困を子ど もたちに味わわせないように、子どもたちが芸能人として成功するように強要したのも、当然のことでした。父の厳しさはひとつの愛 情の表れだった。完璧ではないけれど確かに愛だと、わたしは感じはじめるようになったのです。
父はわたしを愛しているから、強引に背を押したのです。自分の血を分けた子どもたちが低く見られるのは嫌だったのです。時ととも に、苦痛は、感謝の気持ちへ変わっていきました。怒りを感じていたところも、許せるようになってきました。復しゅうしたいと思っ ていたところも、折り合いをつけられるようになりました。はじめに感じていた怒りは寛容さへとゆっくり変わっていきました。10 年前になりますが、わたしは「ヒール・ザ・ワールド」(Heal the World)というチャリティー活動をはじめました。わたしは心で感 じたことを、その名に託しました。よく知らなかったのですが、のちにシュムリーから、HealとWorldという単語は旧約聖書の預言の 基盤となっていることを聞きました。みなさん、わたしがこの世界を、今日でさえ戦争と大虐殺に翻ろうされている世界を、本当にい やせると信じているとお思いですか?
わたしが子どもたちを本当にいやせると考えているとお思いですか?コロンバインハイスクールで起きたように、銃を持って学校 へ行き、クラスメートを撃ち殺してしまうような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?1993年に2歳で殺害されたジ ェイミ・バルジャーの悲劇のように、自らを守れない幼児を殴って死に至らしめるような子どもたちをいやせると考えているとお思い ですか? ―わたしはもちろん、そう思っています。そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。すべては許すことからはじま るのです。世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです。子どもたちをいやすためには、まず子どもた ちの心の中をいやさなくてはなりません。どの子どもたちも同じです。
わたしは、このままでは完璧な大人にも、無償の愛を与えられる親にもなり得ないことがわかり、子ども時代のつらい記憶の扉を閉め ました。みなさんにも、そうしてほしいのです。モーゼの十戒、第五の戒律(あなたの父と母を敬え)にふさわしい生き方をしましょう。親 を非難するのではなく、尊敬しましょう。物事をいい方向に考えましょう。だから、私は父を許し、父を非難するのをやめようと思 うのです。父を許したい。「お父さん」をほしいから。結局わたしには彼しかいないのです。わたしは過去の重荷を肩から降ろし、父 との新しい関係を踏み出したいのです。過去のつらい記憶に邪魔されず、未来を築きたいのです。憎しみに満ちた世界でも、望みをも たなければなりません。
怒りに満ちた世界でも、慰めの心をもたなくてはなりません。絶望に満ちた世界でも、夢を忘れてはなりません。不信感に満ちた世界 でも、信じなくてはなりません。親から傷つけられたと感じていらっしゃるみなさん、失望感を捨ててください。親にあざむかれたと お思いのみなさん、これ以上自分自身をあざむくのはやめましょう。親が邪魔だと思っているみなさん、代わりに手を差し出してくださ い。ご両親に無償の愛を与えてください。これは、みなさんに望むことであり、自分自身に言い聞かせていることでもあります。 そうすれば、親たちはわたしたち子どもから愛し方を学ぶことでしょう。そうすれば、荒れ果てた寂しい世の中に、愛が取り戻される でしょう。シュムリーが「子どもたちの心を通じて両親の心が取り戻される時、新しい世界、新しい時代が来るだろう」という旧約聖 書の預言を話してくれたことがありました。
みなさん、わたしたちがこのような世界をつくっているのです。 わたしたちがその世界に住む子どもたちなのです。インド建国の 父マハトマ・ガンジーが言いました。 「弱者は人を許すことができない。許すことは強さの裏返しである」 さあ、強くなりましょう。そして、壊れた関係を修復するために、立ち上がりましょう。子ども時代に受けた傷が人生にどんな影響 を与えようとも、乗り越えなければなりません。ジェシー・ジャクソン(民主党候補として大統領選に出馬した黒人牧師)の言葉にあるよう、 互いに許し合い、互いに助け合い、そして前へ進みましょう。許し合うことだけでは、涙に暮れる世の中は終わらないかもしれま せん。しかし、多くの子どもたちが親との関係を修復することが、少なくとも新たな出発点となるのです。結果として、わたしたち みんな、もっと幸せになるでしょう。みなさん、信仰、喜び、興奮をもって、わたしの話を締めくくりたいと思います。
今日から、新しい歌が聞こえてきますように。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。
子どもたちのもつ力に驚き、愛の美しさに浸り、ともに、心のシンフォニーを創りだそう。
世界をいやし、痛みを取り去ろう。そして、ともにみんなで美しいメロディーを奏でられますように。
神の恵みがありますように。“I love you”。
10/11/2011
やらぬ善より、やる偽善
先週末、プロボディボーダーのYumieちゃん主催のチャリティイベント”陽(あ)けたら海へ for TOHOKU”に参加させていただきました。
百聞は一見という事でさっそくYouTubeにアップしました。
僕はDJとしての参加だったので、すべての出演者を記録する事ができませんでしたが、
イベントの雰囲気は伝わると思います。
何よりYumieちゃんの思いにみんなが賛同し、作り上げた時間と空間はとても居心地がよく、何よりスタッフが楽しんでたのがよかった。
ぼくも含めて日本人はボランティアになれていないから、チャリティと聞くとちょっと照れくさいイメージがありますが、
プロスノーボーダーのDAZE君の言葉を借りて言うと”やらぬ善より、やる偽善”で考えるより行動で、
周りを良くしていきたいと思った一日でした。
参加したみなさん、何より発起人のYumieちゃん、Kiriちゃん、AkaneちゃんにBIG THANK YOU!
百聞は一見という事でさっそくYouTubeにアップしました。
僕はDJとしての参加だったので、すべての出演者を記録する事ができませんでしたが、
イベントの雰囲気は伝わると思います。
何よりYumieちゃんの思いにみんなが賛同し、作り上げた時間と空間はとても居心地がよく、何よりスタッフが楽しんでたのがよかった。
ぼくも含めて日本人はボランティアになれていないから、チャリティと聞くとちょっと照れくさいイメージがありますが、
プロスノーボーダーのDAZE君の言葉を借りて言うと”やらぬ善より、やる偽善”で考えるより行動で、
周りを良くしていきたいと思った一日でした。
参加したみなさん、何より発起人のYumieちゃん、Kiriちゃん、AkaneちゃんにBIG THANK YOU!
ラベル:
Made In Japan
9/08/2011
陽けたら海へ for TOHOKU

みなみなさま、夏の後ろ姿に切ない気持ちになるこの頃いかがお過ごしですか?
今年も残すところあと四ヶ月ですね。
本当にいろいろな事がある2011年ですが、来月素晴らしい仲間たちと最高のパーティーを行います。
発起人はプロボディーボーダーのYumieちゃん
彼女は情熱大陸でも取り上げられた、難聴というハンディを抱えながらも活躍していて、
会うたびに元気をもらう素敵な友人の一人です。
DATE:10月8日(土) START 12:00/CLOSE 18:00
PLACE:ベルエポック美容専門学校 原宿第2校舎
Charge:前売り¥2,500/当日¥3,000
参加メンバーも実に豪華。
Special Guest:
「手話で伝えるEntertainment」
HAND SIGN
MC
YUMIE(プロボディーボーダー)
TALK SHOW
「活きるを伝える」
荒井DAZE善正(プロスノーボーダー)
「東北の未来」
YUMIE x 角田恵(プロボディーボーダー)
MUSIC
WIGHT ROCK BABYS
HaleBale
Marianjuna
HULA DANCE
Niulani Akane
Movie
tsucamera
LIVE PAINT
かおかおパンダ
ブッチャー
Amy
PERFORMANCE
NiA〔RESMILE〕
DJ
Gomixx
SHOP
Art
Tonman
KIBOKOSMO
KUMAKUJIRA
キンキン堂
買い磨きのフクちゃん
CHALK ART SERVICE
FOOD
NOMADIC CAFE/タイ料理
tabula rasa/ダイニングバー
T&Tキッチン/プレートランチ
Fashion•Beauty
Hanalima•EMU•SPY•Makapu'u
iL BRiLLE•ベルエポック美容専門学校
今回DJとして参加させていただきます!
当日はMJから清志郎まで、
偉大な先輩たちのゴキゲンなダンスミュージックで
イベントをパーティーUP!
踊れないダンスミュージックはもういらないっ
当日の収益費は東北の子供たちのHAPPY SURF SCHOOLのための運営費となります。
当日は各ブースもチャリティーに参加してくれます。
皆さんのエントリー費が東北の子供たちの笑顔の為になります。
下記YUMIEちゃんからのメッセージ----------------------------------------------------------------------------------
いつどんな時でも悲しくても笑顔でいることは明日への道しるべに繋がると私は信じています。
まず子供たちに笑っていてほしい。
そのために出来ることは、私達が動くこと。
願うのではなく、行動を起こすこと。
その想いの元、このイベントの企画が持ち上がりました。
海が楽しいきっかけの場となり、
沢山の子供たちが笑顔になりますように。
その想いが輪となり、
まだ見ぬ誰かにバトンタッチして幸せが伝染しますように。
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とにかくパーティーを続けよう。©スチャダラパー
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